人間失格、なんですかねぇ?私の人間失格観

人間失格を私はこう思う

人間失格という本が世の中にはあって、高校を出た頃にはそれが太宰治の作品だということは知っていました。

そのころ活字が嫌いで、図書館でこの本も一度は手にしたけれど、漫画ばっかり読んでた僕には太宰治の文体が非常に読み難かった。
その時点で却下!ストーリーを味わう以前の問題でこの作品から離れました。

 

でも42になった今になって人間失格の映画を目にした。
動画なら好きだし、なにより楽ちん。なんで見ることに・・・

 

素直に「おもしろい」と思った。
そして、一度断念した小説の方も読んでみたいと思うようになった。高校生の私がこの作品を読んだとしても「ふーん」だけで終わっただろう。
でもいまは、読み終えた後ズシリと腹に残るものがあったんでサイトを立ち上げてみました。

 

人間考察としてとても面白い題材だと思います。現在の自分の視点と合わせて味わおうと思ったし、自分だけでなく他の人はどんな視点を持ってこの小説を味わってるんだろうか?なんていうのも気になっています。

 

私は人の生き方に正解はないと考えています。
なので本来「人間失格」なんていう「状態」は存在しないものだと思います。
ただ腹の立つときも山ほどあるし、自分のダメダメさに嫌気が差すことなんて日常茶飯事。
そんな自分を完全に肯定できてるのか?といえば「NO」だけど、10年前よりは受け入れることが出来てきたのかな?そんな感じがしています。

 

格好良いところ、無様なところ、人の役に立つところ、人に迷惑をかけてしまうところ・・・全て人間の生き様なわけで、そんな部分が混在してもがきながら生きていくのが「一般的」な人の姿だと思うわけです。

 

作品が書かれた頃の貞操観念や社会的な背景は、本当のところわかりません。今となっては人から聴いたものを頼りに推測するしか無いので、完全に同調することは出来ない。

 

しかし人としての心は、1000年前でも現在でもさほど変わらないでしょう。
そのなかで本当に良い事と悪いことを振り分けるのは、その人の捉え方しか無いと思っています。

 

社会的には法律によって良し悪しのボーダーラインが時代時代で変化していますが、人間失格の決定ボタンを押すのはその人自身だし、世界中で本人しかそのボタンを押せる人はいないでしょう。

 

でもこのボタンの特徴は、本人に限り一旦押しても、あとで何度でも取り消せるということ。

 

だから葉蔵もどうにかして生きていこうとしたわけだし、出来たんだろう。

 

人って白か黒かでしか生きられないのなら、本当に自然に適していない生き物だということになってしまう。

 

自然は常にグレーゾーン・・・ちょっとニュアンスが違うな。
そう、白と黒のグラデーションの中に存在出来るものだと思っています。

 

それを受け入れて生きていくことが自然な姿なんだと、年々思うようになって来ました。

 

白黒分別付けるだけじゃなくて、人の生き様の分だけグラデーションが増えていけば、もっと自分を許せるようになるし楽に生きられるのかもしれませんね。