人間失格、なんですかねぇ?私の人間失格観

人間失格とニュース

いろんなニュースが日々取り上げられている。ニュースの内容は笑えるものから、目を背けたくなるようなものまで様々。
笑える方はいいとして、問題は目を背けたくなる方だ。

 

私も感情はあるので、それらのニュースに対して憤りを覚えたり、恐怖したりすることも常にある。
そこで一旦自分の感情は横においておいて、加害者側の人間を考えた時に「人間失格」なんて呼べるのか?なんて思ってしまった。

 

そもそも「失格」と言う言葉を使うには、なにか枠組みやルールを規定していないと失格なんていう言葉は使えない。
じゃあ人間にルールなんてあるのか?という話になってくる。
社会的なものが人間のルールだ!と言ってしまえることもあるだろう。
それだと国によって人間失格のルールは異なる、ということになる。

 

しかし太宰治の人間失格の中で表現したいとされている失格というものとは、質が異なると思う。
そんな道徳的な事を語りたいんではないような気はする。

 

葉蔵が自らを客観視して落胆し落ちていく姿・・・ここが小説の本質をはらんでいる部分だと思う。
結局自分で自分を判断した結果「失格」だと判定したに過ぎない。

 

対比的に楽天的な性格で描かれている堀木。
彼は自分自身に失格の烙印を押すことはなかった。

 

どちらが正解なのか?・・・いや、正解という言い方はおかしいな。どちらが「良い」のか?
これは個人の好みの問題だと思う。
結局「失格」だと思ってしまうのも「これでよし」と思えるのも本人の心の問題になってくる。

 

もしこれと同じストーリーが外国で展開されたのなら、その国の葉蔵は自分を失格だと捉えるだろうか?という部分も興味のあるところ。

 

男は好きなことして、酒のんで色んな女性と関係を持つのが最高に「COOL」なんて捉えられる国がもしあったならば、その国ではこのドラマはどう映るのだろうか?

 

日々のニュースを見る度に思うところです。